「偶発的ポテチ」概念の発見

最近は随分と忙しい。

 

というのも、旅行関係の仕事に従事しているのだが、ここ数週間はいろいろと緩和された事もあって忙しくさせてもらってるといった具合なのだ。

 

懐具合としてはうれしい反面、感染者数も増えてきているので、ここからまた落ち込んでいくのかもなあと思うと気が滅入る。

 

 

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「偶発的ポテチ」の旨さについて話したい。

 

ポテトチップス、しょっちゅうは食べないけれど、たまにぐーっと食べたい欲がわいてきてコンビニで買って帰ったりする。

でも、そういうときのポテチって旨いんだけれども、結局「まあこんなもんだよな」という気持ちに落ちつく。

 

なんとなくそんな感じ、わかります?

一袋食べきっちゃったらポテチ欲が120%以上満たされて、もうしばらくいいかなみたいな。

 

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先日、事務所に「ご自由にどうぞ」風のポテチが置いてあった。

小腹も空いてるし、折角だからと思って数枚頂戴したのだが、この数枚があまりにもうますぎた。ポテチとはこんなにもうまかったものかと、想像していた期待を遥かに超えていて衝撃を感じた。

 

小腹が空いていたという万物をうまくするスパイスがかかっていたとはいえ、その衝撃は凄まじく、控えめな性格な僕が追加をねだる程だった。ちなむとこの行為は僕の行動原理からすればとてつもなく稀有な行為だと付け加えておく。

 

それからというもの、この衝撃にあてられた僕はこの意識外から突如現れるポテチを「偶発的ポテチ」と名付け、「小腹が空いている」に次ぐ、認識によって加えられる心象スパイスとしての研究を続けている。

 

ところが、この研究が早くも窮地に立たされている。
サンプルがあまりにも乏しいのである。

 

意識外から突如現れるポテチを自分で用意することは不可能である。他人に依頼して再現する方法も考えたが、それを偶発と呼ぶには幾分か自分を騙さなければならない。
唯一、自分で買った後に頭を強く打つという方法があるが、これは以前学会から「極めて危険」として厳重注意を受けている為、最終手段としてまだ控えている。

 

誰か俺にポテチをくれ。研究のために。可能な限り偶然を装って。

 

 

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この前、寝る前になんとなしにYoutubeのショート動画を眺めていたら、いつの間にか2時間半経っていてまいった。

 

忙しくってあんまり趣味の時間が取れなそうだな~なんて考えていた後の出来事だったので、かなり深く落ち込んだ。

 

あのコンテンツは危険だ。2時間半も見てたのに2割も覚えてない。
気を付けたまえよ、貴公もいずれ吞まれるぞ。

 

 

 

結局のとこ習うのがいっちゃん楽で効率的

ヨルシカの新曲がめちゃめちゃいいよ~

 

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諦観というか「どうでもいい~」みたいな雰囲気がありつつも、ポジティブな言葉もちりばめられてて好き。

歌詞全体通して「強制」がなくて、ずっと提案ベースなのが心に優しい。

リズミカルで軽快でクリーンな明るい曲調が心地いい。

 

同じような歌詞だし三番は飛ばしていいよ 」

 

この歌詞好きすぎる。衝撃。

 

 

 

 

 

 

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月に3回ピアノのレッスンを受けている。

 

かねてより何某か楽器が弾けるようになりたいなあと思っていたこともあり、去年の春頃から受講していて早一年半になる。

 

受講は概ね30分で、次の生徒が居ない日には少し延長して40分ほどお世話になることもある。

 

意外に短いと思うかもしれないが、人から教わるというのは随分と効率が良いもので、受講時間のイメージよりも遥かに学べることが多く、それに加えて「定期的に進捗をみてもらう相手」がいるのはモチベーションの維持にも大いに役立つ。

 

初めたての頃は練習というものが習慣になっていなかったこともあり、ロクな練習もせず教室に向かっては、はたしてこんな状況で受講する意味があるのだろうかと自分で疑ってしまうような状況だったものだが、懇切丁寧に教えてくださったこともあって、なんとか今まで続けることができている。

おかげさまである程度、練習が習慣として根付いてきていて、テキストの課題はもちろんの事、楽曲についても2曲(Summerと簡単な楽譜のトルコ行進曲)弾ききることができるようになった。

 

独学でギターを練習していた時は、飽き性なことも相まって一曲まるまる弾ききれるようになるまで続かなかったのに比べると大きく進歩している感じる。

 

つまるところ何が言いたいのかというと、今あなたがやりたいことがあって、それが教われるようなものなら教わってしまった方が結果良い意味で楽ですよってこと。

 

褒められるって単純だけどとてつもなくモチベーションに影響あるからね。

 

 

 

 

 

 

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仕事でストレスを感じる事が増えたような気がする。

 

※先に断っておくが、今の職場に辞めたい程の不満はないし、この業界にいるのも早7,8年になり、ある程度プライド持って業務にあたっているので、職業について言及されるとムキになるぞ。

 

接客業/サービス業に分類される職に就いており、新卒で採用されてからというもの「お客様を最優先に行動する」というのは口酸っぱく言われ続けていて、業務にあたる心持としての芯を担っている。

 

その芯に対する向き合い方の個人差について、どうにもこうにもうまい解決策が思い当たらないのだ。

 

端的に言えば、ストレスを感じる根っこの部分というか原因みたいなのには気付いているのだが、それを正そうとすると他人の価値観に干渉しなければならず、どうにももどかしく感じながらひそかにいらいらを感じているのが現状である。

 

俺個人が思う「常識」が誰にとってもそうではないというのを久しぶりに痛感している。率直に言ってしまうのも一つの手段として思いついているのだが、それを当人にどういう表現で言えば良いかが思いつかず攻めあぐねているわけだ。

 

 

なんて言ったところで仕事の話である以上ある程度書ける内容に制限がかかってしまうので言っても仕方がないのだが…

感情の整理も含めて一旦吐き出させていただきました。

 

どの職場でもこういった悩みは絶えないだろうと思って、心を落ち着けていきたいね。

 

 

 

 

 

 

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ずっと情熱というものに憧れていました。

 

情熱を注ぐ、情熱を燃やすといった事柄に無縁な生活を続けてきたのでどこか空虚な焦燥感に駆られていたのですが、俺にも情熱の芽生えというか熱中できるなにかを感じられて、ここ最近感情が前向きになったような気がします。

 

仕事しかり趣味しかりですが、ある程度の感情が乗らなくては没頭することができないのだろうと、ようやく気付き始めてきたところであります。

 

どうかこの熱が冷めない事を祈るばかりです。精進します。

俺が持つべきはデビッドカードだったかもしれねえ

所用でネット銀行を開設しました。

 

そうしたら当然キャッシュカードが届くわけなんですが、今回開設したやつはキャッシュカードの機能と一緒に、デビッドカードなる機能が付いていた。

 

ざっくりとしか知らなかったんでデビッドカードって「デビッドカードが使える店」じゃないと使えないと思ってたのですが、実際はそのカードの銘柄(VISAとかマスターとかJCBとか)が使える店ならデビッドも使えるらしい。

 

クレジットカードと違って引き落とし日が設定されてるわけじゃなくて使うたびに口座から引き落とされるシステムになってて毎回残高に反映されるから、今月思ったより使ったなあってのが減りそうでいいなと思ってたんだけど上記の理由から結局見送ってた。

 

そうだと知ってたら俺クレジットカードなんて使わなかったのになー

(一時期めちゃめちゃギャンブルにはまってアホほど分割払いやってた)

(とはいえよく行ってたパチンコ屋にデビッドカードから入金できるやべえ機械があったからどっちみちかもしれん)

 

キャッシュレス決済が主流になってきた昨今、俺も何かしら始めようかなと思っていたので、もしかしたら使うかもしれません。

 

 

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昨年車を買い替えまして、ETCが付いてたので折角だからとカードも作って使ってるのですが、未だにETCゲート通るときビビるんですよね。

 

通常、高速道路に出入りするときは有人のゲートに停まって通行券貰ったりお金払ったりしてゲートを開けてもらうんだけど、ETCを使うと電波?でお金のやり取りして自動でゲートを開けてもらえるので、いちいち停まらなくてもスムーズに高速道路に入れる。

 

ただ、車に備え付けてあるETCの機械にカードを入れておかなかったり、カードの差し込みが甘かったり、ETCカードの期限が切れてたりするとゲートが開かないので停められてしまうらしく、これが怖い。

 

いちいち停まらずに高速道路に入れるという点がウケててみんな使っているのに、俺のせいでその流れを止めてしまうのではないだろうかと毎回通るたびにひやひやしてる。

 

あとETCゲートに入るときに「20km/hに減速してください!」って入口に書かれてるんだけど、これにも毎回ビビらされてる。

 

20km/h超えてたら早すぎてETCが反応できないんじゃないかな(多分そんなことは無い)と思っていつもかなり減速して入るんだけど、これも後続車の慣れてる人に「そんな減速しなくても通れるよ」みたいな感じで思われて、ETCのスムーズさを損なってるんじゃなかろうかと思ってしまう。

 

自意識過剰かもしれないけど気になるものは仕方ない。今のところは流れ停めたことないからなんとか使えてるけど一回でもやっちゃったらETC使えなくなっちゃうかも。

 

そうならないようにめちゃめちゃ二重三重にチェックしてるけど万が一があるから…

 

 

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最近めちゃめちゃ暑いですね。

夜になっても全然暑くて寝苦しい。

 

熱中症が多発してるみたいで俺も気をつけなきゃなと思っているのですが、怖いですね。

 

寝る前の水分補給が十分じゃないと寝てる間に熱中症になっちゃうこともあるらしくて、しかも熱中症って程度によっては後遺症残る場合もあるんだってね。

読んだ記事の例えで、「ゆで卵が生卵に戻らないのと一緒」とか書かれててめちゃめちゃビビってる。

 

怖いものばかりだ。気を付けよう。

広告とお祭りと青い思い出

Youtubeの広告をなんとなく最後まで見ちゃうことありますよね。

 

スマホゲームの広告とかめっちゃあるじゃないですか。

怪しい日本語でゲーム実況風にやってるやつとか、レベル1のチンピラが紆余曲折あって組長になるみたいなストーリーがあるようなやつとか、お前にできんのか?解けんのか?みたいな挑戦的なやつとか、あげだすときりないくらいいろいろあって、面白くてつい見ちゃいがち。

 

三国志知らないのに出生地は巴蜀がいいらしいってのも広告でみたぞ。山が多いから谷に柵を作れば敵から攻められにくいんだってよ。

 

あと、〇〇にお住まいの方限定!みたいな広告もあるね。

興味のあるなしにかかわらず知ってる風景が広告の背景にあるのが面白くてこれは途中までだけどみちゃう。

でも、漫画みたいなスタイルのヒゲ脱毛とかハゲ治療の広告はあんま好きじゃない。何が違うんだろうな。

 

今日みかけたこの広告もかなり面白いからみてほしい。

 

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知ってる題材ってだけでみちゃうのに曲も気持ちよくてめちゃ満足感あった。

ストⅡって結構広告で見かけるよね。やっぱ人気なんすね。

 

 

 

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かれこれ2年ぶりくらいに祭りに行ってきた。

 

感染対策なのか、単純に露店が減ったのかわかんないけど、いつもは道の両側に所狭しと並んでた出店が片側にしかなかった。

道が広くて歩きやすかったけど祭りっぽい賑わいみたいなのが薄まってて、なんとなくさみしさというか物足りなさみたいなのは感じた。

 

今日行ったのは近所のお祭りで、最後に行ったのは中学生の頃だったかなと思う。

当時の印象からすると全長が短くなったような気がしないでもないが、これは実際に短くなっているのか俺が大きくなったのか、ご時世柄なのかはわかんない。

 

なんて歩き回っているとかたぬきの露店に通りかかる。

昔は端と端、間にちょこちょこと何店もあったイメージだが、今は減ってしまって1店舗しかなかった。

かたぬきとかピンボールみたいな遊ぶタイプの露店が子供の頃は好きで、めちゃめちゃやってたのを思い出す。未だに実家の引き出しにピンボールの1回無料の木の札が保管されている。(あんまりにもピンボールから離れない俺を飽きないねえと見守る親に助け舟を出したのか、おっちゃんがまた来年来てねと握らせてくれたものであって、無断で持ち帰ったわけではない)

 

チューリップのかたぬきに成功してちゃんと3,000円に換金してもらえたもんだから「かたぬきのおっちゃんて全然換金してくんねーよな」みたいなあるあるが一時期全然わかんなかった。今思えばとってもいい店主と巡り会ってただけなんだろうなとも思うけど、お祭りが楽しくなるいい思い出だったなと感じる。

 

冷静に考えて店主も店主で3,000円換金するってかなり勇気いるよな。

今日見たとこだと3枚200円でやってたから15人捌いてやっと稼げる額だもんね。

 

なんて素敵なおっちゃんだったんだ。かっけえじゃん。

 

 

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かたぬき繋がりでもうひとつ思い出したが、こっちはうって変わって嫌な思い出だ。

 

人付き合いがあんまり得意じゃないのは今に始まったことではなくて、当時中学生だった俺も、決まった友達たちとしか上手く話せない性格だった。

 

そんななか、きっかけは忘れたが、クラスのイケイケグループとお祭りを巡るイベントに誘われたことがあった。ほんとになんで誘われたのか今考えても思い出せない。気のいいクラスメイト達だったのでからかいで誘われたわけではないはずなんだけどそうだったとしたら今更ながら戦慄する。そんな人たちじゃないと思うけどね。

 

当日、自分なりにしっかりとおしゃれな恰好を心掛けて向かったものの、同級生たちの格好というか存在感みたいなのが明らかに自分のそれとは別次元な印象を受けて、一発目から劣等感を刺激される。

 

制服姿しか見たことない同じクラスの女の子たちも、各々きらびやかな可愛らしい服だったり浴衣だったりなんか着ちゃったりしてて、学校とは違う雰囲気を纏う彼女らにいつも以上にどぎまぎしてしまう。

 

そんな精神状態でまともに会話なんてできるはずもなく、程なくしてイケイケグループを後から追うような立ち位置になってしまったのは無理もない。

さながら車付きの風船のように、彼らの後ろを無言で追従するしか手が無かったのだ。

 

追従している中でも劣等感は刺激され続ける。

男女分け隔てなく話せる彼にも、個性的ながらも整った格好で垢ぬけたおしゃれさを持つ彼女にも、気遣って声をかけてくれる委員長にも、ことごとく自尊心的なものを削られていく。

 

あまりにもいたたまれなくて、俺は、適当な言い訳をして途中で抜け出してしまう。

今現状の俺の持つスキルでは、悲しきかな、この輪についていくことはできない。

 

 

 

帰り道、かたぬきの露店を通りかかる。

折角お祭りに来たのだから、何かしら露店を楽しみたいと思ったのかもしれない。俺はかたぬきをすることにした。

物事に集中すれば、この胸の内のもやもやも誤魔化せるだろう。

 

だがしかし、そんな状態で100楽しめるはずもなく、ましてや集中力ももたず、どうにも無意味な時間潰しのようにしか感じられなかった。

失敗したかたぬきを食べる。なんだか普段より苦く感じたのは気のせいではないのだろう。

 

 

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なんていう苦い思い出も、楽しかった記憶も、お祭りは内包している。

大人になった今、雰囲気だけ楽しむのもおつと感じるようになったが、純粋な気持ちでかたぬきに没頭してみたいと思うのもまた嘘ではない。

 

次にお祭りに行くときはやってみようか。

思ったことを思ったままに、感じたことを感じたままに。

前置きですが、ブログを書くルーティンがちょっとずつ固まってきてて、仕事の後の仮眠の後に趣味の時間を設けて、ある程度満足したらお酒飲みながら書くってのに定着してきたんですが、今日はいつもよりお酒のまわりが深くて文章に落ち着きがないかもしれないです。誤字も多いかも。

 

 

 

 

「感情を表に出す」というのを適切に取り扱えるようになりたいね~

 

というのも、せっかくこういったブログでもって文字を書いているのだから、多少なれどその型みたいなのは身につけておきたいと思うじゃないですか。

で、調べてみたり本読んだりしてみると、感情の動きをまんま書くといいですよ~なんて書かれ方をされているわけです。

 

学んだまま馬鹿正直に、ここ数回にわたって思ったままに書いてみたわけなんですが、読み返してみるとどうにもまだかっこつけというか見栄張ってるというかキャラ付けっぽいななんて思ったりするわけです。

 

ある程度はしょうがないんだろうけども、まだまだ回数こなして研鑽してかなければなと感じますね~

 

 

なんて考えてたら今日読んだ雑談力の本でも感情を表に出す旨のメソッドが書かれてました。

 

文字書くだけにも限らず、雑談でも使われるのか…

感情の動きを表に出すって結構根っこなのかもね。

 

思い返せば自分はどちらかといえばフルオープンで感情を表に出すタイプではなかったなあと思う。

褒められたときに「いやいやそんな」って謙遜するより「ありがとうございます」が言えた方が全然好印象だよなって、言われなきゃ気付かなかったね。

 

思ったまま、感じたまま、意見を言ったり感想を述べるって多少でも意識してないとできないことだなと思いました。

 

とはいっても、俯瞰でみれなきゃそんなのもわかんないよね。

「いやいや、お前結構感情的じゃんか」なんて思われてる可能性もゼロじゃない。

 

どう見えてるのか、どう見られてるのか気になる。

俺が一体普段どう過ごしてるのか、一回でいいから神の目線でみてみたいね。

 

俺がもう一人いたら俺はそいつと仲良くなれるんかな。

初めの1歩は質より量

やりたいことがいっぱいある。

 

だんだんと温かくなってきて去年はできなかったキャンプに行きたかったり、美術館に行ったことがない(正確には覚えてないだけかもしれないけど)から行ってみたかったり、接客を仕事にしているので英語を勉強して外国人ともスムーズにコミュニケーション取れたらなと思ったり、趣味でやってるピアノの練習しなきゃなと思ったり、積読を解消したいなと思ったりとかとか、大なり小なり他にもいっぱいある。

 

では、なぜやらないのか。

休みの日にまで仕事に出なければならなかったり、残業が多かったりということはまるでないので時間の面では人よりも恵まれた環境に身を置いているはずなのに、なぜかYoutubeInstagramのリール、Twitterをだらだら見てしまう。

 

もっと研鑽に時間を使えれば未来が明るいのだがなあと思ったので、どうやったらやる気になれるかを調べてみた。

 

 

 

初めの一歩は質より量

さらっと調べてみた限り、人って基本的にはなんもしないのがデフォなんだって。

 

正確にはなんもしないというより、できるかぎり変化が無いように過ごすようできてるらしい。

だから、勉強とか練習って億劫な感じしちゃうんだって。

 

で、その「変化が無いように過ごすようできてる性質」を逆手に取った解決策があって、10秒やってみるってのが効果的らしい。

 

というのも10秒(1分だったかも)やると、その作業をするマインドにスイッチして、「変化がないように過ごすため」にその作業をしばらくやるんだそうな。脳みそって結構バカね。

 

ほんとかと思うけど思い返すと結構身に覚えがあるよね。Youtube見始めたら止まんなかったり何の気なしに手に取った漫画も3、4巻読んじゃったりするもんね。

 

だから、勉強したいならとりあえずテキスト1回開いてみればいいし、ピアノ練習したいならとりあえずピアノの前に座ればいいし、筋トレしたいならとりあえず10回スクワットすればいいんだって。

「これくらいだったらできそう」ってのを積み重ねるとゆくゆくは習慣になって、やろうとしなくてもできるようになるらしい。

 

 

逆に、悪手なのが、いろいろ考えて準備して結局やらない事なんだって。

というのも、参考書買って読まないとかあるあるだけど(俺も読んでない参考書が7億冊くらいある)、それやるくらいだったら一旦適当なネットの解説読んで、気になっちゃったら儲けもんって考え方の方が心理的にも金銭的にも効率いいらしい。

 

初めの一歩は質より量で、ちょっと凝ってきたら質に気遣えばいいんだってさ。

 

なんかそう聞くと一気にハードル下がったような気がするよね。

 

 

 

なにはともあれ1回やってみよう

 

いいこと聞いたなって感じするよね。

 

読んだ記事とか本でも書いてあったけど完全に0準備でやるのも考え物らしくて、ほどほどに準備と実行のバランスを考えないとダメらしいから実際やるときは気を付けて。

 

詳しくは検索してもらえばもっと詳しくわかりやすく書いてるから気になったら調べてみて~

 

今日は以上です!

 

 

 

 

 

★おまけのあるある★

 

積み立てNISAを調べて、始めてみようと思ったので証券サイトに登録した時のあるある

 

「NISAじゃないとこの管理画面、見た目シンプルなクセに書いてある文字2割くらいしか意味わかんなくて怖すぎがち」

反省しよう!

『失敗の科学』を読みました

 

 

kindle unlimitedでおすすめされていた失敗の科学を読みました。

 

 

 

 

「なんかこういう事があって、いろいろあってめちゃめちゃ失敗しちゃったんだけど、どうして失敗しちゃったんだと思う?実はこんな心理が働いてたりこんな仕組みがこういう事態に影響しちゃったんです!」っていう内容。

 

 

実際の出来事に対して統計だったり化学だったり心理学だったりをみて、失敗した原因・成功した原因を解説する流れなんだけど、帯に「小説のように面白い!」と書いてるくらいなのでめっちゃ読みやすくて一気に読んだ。

 

 

本の中で結構フォーカスあてて紹介されてた心理学?に「認知的不協和」というのがあってすげえ興味深かったので話させて。

 

 

認知的不協和ってなにさね

 

 

僕が本の中から読み解いた限りでは、「矛盾する2つ以上の認識が発生したときのストレスを軽減するために辻褄を合わせる思考」っぽい事が書かれてた気がする。

 

 

実際に書かれてた例では、「たばこを吸っている」という情報と「たばこは体に悪い」という情報を認知したときに、「いやでもたばこ吸ってるといいこともあるし」つって半ば開き直る?みたいなことらしい。

耳が痛いね。まあ僕、禁煙3回も成功してるけど。

 

 

気になる例がもういっこ書いてある。

 

「今年の12月にUFOが攻めてきて地球は終わっちまうんだぜ」っていう記事を新聞に提供した新興宗教に、認知的不協和を調べてる人が潜り込んで、''それ''が起きなかったときに教祖がどういう行動に出るのかを見に行ったらしいんだけど、その時は「私たちが新聞とか使って警告したから大いなる意思がもう一度チャンスをくださったのです」みたいなこと言って、信者もその気になってたみたい。

このことから「努力の方向が間違っててもめちゃめちゃ頑張ってるほど認知的不協和は強くなる」って言われてるらしい。

 

 

これ、めっちゃ怖くないっすか。

 

この例の場合は新興宗教っていう極端な内容だからあんまり実感わかないけど、自分が頑張ってることが全然見当違いなことたったとしても頑張れば頑張るほど認知的不協和に陥っていくってことでしょ?

 

激ヤバなんですが。認知的不協和スパイラル。

 

この「認知的不協和」ってのを知ってから、そこに陥ってないかな?と自問自答することが増えたものの、そもそもその認知的不協和ってやつに対して認知的不協和が発生してる可能性無い?とか考えちゃって僕もうパアです。おつむがパア。

 

 

調べたりしたけど若干ニュアンス違ったりするので通説の一個として覚えときます。

 

 

『失敗の科学』おすすめですよ

 

 

もちろん認知的不協和以外にもいろいろな分野の失敗原因について言及してて、読んでるだけで面白いのでおすすめです。読みやすいし。

 

 

検証の仕方が悪かったとか、情報のくみ取り方が良くなかったとか、環境のせいで重大な報告ができなかったとか、集中しすぎて判断が遅れたとかとかでいろんな原因があるんだな~と知れて楽しい。

 

 

結局のとこ失敗から学びましょうね、だから失敗を許容できる環境を作ってこうねって話っぽいなと読み取りました。

 

 

反省しよう!

 

 

ここ一カ月前後の最近、お仕事で小ミスが重なっててちょいしんどい。

傾向と対策で対応できる内容だからこそ、メンタルに毒沼にいる時みたいなスリップダメージが入っているのを感じる。

 

 

とんでもねえ大失態を犯す前に、ここらで一旦気を引き締めないとですね。

 

 

あとアンガーマネジメントについてちょっと勉強したいかもと思い始めてる。

自己評価的にはイライラの許容量が皆よりもまあまあある方だよな~なんて思ってたんですが、多忙になるとどうにもその最大値が削られて(当然みんなもそうなんだろうけども)て、その減り幅がえぐいような感じがしてかなり焦る。イライラしてる自分になんでお前ってそうなん?って思う。

 

 

学ぶことの楽しさの片鱗に触れられた気がする今日この頃、どうかこの焦燥感を学びが埋めてくれることを期待して精進します。

 

 

イライラであたっちゃったかもしれない事を深く反省します