熱が出た! / 思った事

「熱が出た!」

 

先週、有給消化で4連休が発生したので、友達に会いに帯広へ小旅行へ行ってきた。

町の観光というのを今まで特にしたことがなく、いつもはそもそもが温泉街だったり、行き帰りの観光名所を巡っていたりしたのだけれど、友達が案内してくれるというので今回は町のグルメを食べ歩いたり、資料館やら道の駅などの名所やらを巡って過ごした。その旅行感が楽しかったというのもあるのだけれど、一旦それは置いといて、帰った後めちゃめちゃ熱がでた話がしたい。

 

家に帰ったあと妙な倦怠感を感じた。長距離運転で疲れているんだろうと思ってすぐに寝たのだが、翌朝起きてみると37.2℃の微熱が出ていた。熱が出るのはコロナワクチンの副作用が最後だったと記憶しているので、ゆうに1年半ぶりである。たかだか平熱より0.8℃くらい高いだけでこうも体が重たいのかといつも思う。

その日は4連休の最終日で仕事ではなかったのだが、こういった時世柄なので念のため発熱外来へ行った。病院へ行くのなんていつぶりだろうか。ワクチンを打ったのは集団接種会場だったので病院ではない。もう記憶にないくらい前のことだ。

インフルエンザかどうかを調べる方法が未だに鼻腔拭いなのはやはりこれが最善手だからなのだろうか。子供の頃長い綿棒を鼻奥につっこむ検査法がすごい苦手で、もっと痛みが伴わない方法がいずれできるんだろうなと思っていたのだが、それはまだ先の話のようだ。今回も鼻奥に長い綿棒をつっこまれ、あほの顔をしながら粘膜を削り取られた。

結果としてはなんでもなかった。「検査が早いとインフルエンザが検出されないこともあるから用心してね」といわれて薬を出されて診察は終わった。まあ正味、自覚症状と言えば微熱でしかないしそんなもんか、やはり運転疲れで体調が優れないだけなんだろうな、なんて思いながらその日は暖かくしてすぐに寝た。

 

翌朝起きてみれば38.8℃だった。とんでもない高熱だ。

人間の体は38℃を超えるとまともに動かないというのを痛感した。食事はおろかスマホを持ち上げる事すら億劫でなにもできやしない。

会社へ休みの連絡を入れる。学校や会社を休めるとなったとたん少し身が軽くなる感覚というのがなんとなく共通認識としてあると思っているのであるていで話すが、それすら感じないくらい疲弊していた。

少しでも胃に刺激があると一気に具合が悪くなってしまうので、水とinゼリーだけを飲んで過ごす。inゼリーがこの世に無かったら僕は栄養失調になってしまっていたかもしれない。この場を借りて礼を言う。ところで「ウィダー」はどこ行った?

 

熱自体はまる二日薬漬けにして寝かしておけば治ったのだが、今はその後遺症?に悩まされている。

栄養補給をinゼリーのみで完結させていたのが祟ったのかあるいは二日も日中夜横になっていたせいで軽い食道炎になったのか、胃が痛く、重たい固形物を受け付けなくなってしまった。スープ・味噌汁など液体は大丈夫。米はきつい。野菜は大丈夫。肉や揚げ物は到底無理。パンは味が薄ければ大丈夫。濃い味のジュースもダメ。どうにも面倒な偏食家のようになってしまった。一応治ってから5日ほど経つのだが未だにダメなのだ。

あとは咳と鼻水が無限に出る。あまりにも鼻水が止まらないものだからもう花粉が飛んでるのかと思ったが、北海道ではまだ観測されていないようだ。もういい加減しんどいので健康になりたい。助けてくれ~。

 

「高熱の時の夢みてえだ」はすでに擦られまくって手垢塗れの比喩だが、高熱の時は夢を見るのだ。僕が見たのは「赤い棒・青い棒・黄色い棒があって、それぞれ円柱・三角柱・星型柱(?)になっているのだが、赤い円柱を2本・青い三角柱を2本・黄色い星型柱を2本集めて扉にかざさなければならないのだが、どうしても一本足りずに途方に暮れてたら、実はバグで一本表示されないと明かされる」という終始徒労で不憫な夢だった。思い返すと悲しすぎる。熱で辛い頭を引き継ぎながらやる作業じゃない。

 

早く健康になりたい……もうそろそろ健康だったころの自分を忘れてしまいそうだ。

 

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「思った事」

 

ところで今回病床にふせってみて、ひとつ気付きがあった。周知の事実だったら恥ずかしいのだが確認する術がないので一旦書くが、「無条件で信用してる事・信用しなきゃやってらんない事」ってあるよなあという気付きだ。

現代は科学の発展が目覚ましく、中世に比べれば神秘的で説明のつかないことが無くなってきている。魔女裁判なんてものは廃れ、誰もが地動説を正しいと知っており、医学薬学の進歩で未だかつてない長寿を叶えている。

事象に対して説明がついたり、物事に根拠があるのが見つかったから神秘が無くなっていったわけだ。

ところで、歴史の文脈ではよく宗教が引き合いに出され、今じゃ考えられない間違った療法を『神の御業』の一点張りで処置していたんだと言われては「これだから宗教は」といった定型句を吐かれるのだが、この部分に違和感を感じたのだ。

 

僕は果たして、本当に神秘から解放されているのだろうか。先んじて断っておくが、僕は別に妙な新興宗教にはまったり陰謀論を植え付けられたりはしていない。

 

というのも、そう思ったきっかけと言うのがこの熱で処方された「薬」といものだ。病院を受診して診断を出してもらい処方された「薬」だ。咳止めの薬、熱を下げる薬、鼻水を止める薬、炎症を止める薬など様々な薬を処方された。

当然だがこれらの薬はちゃんと効果があると科学で実証されていて、似非医学などではないれっきとした医薬品である事に間違いはない。間違いは無いが、「僕」はそれを知らない。なにが入っているのか、なにが作用して熱が下がっているのか・咳が止まっているのかを知らない。

 

こう考えたときに

医者「この薬はカロナール錠といって、飲むと熱が下がるよ」

神父「この薬はカロ=ナールの儀式を経た聖なる薬で、飲むとたちまち熱が下がるよ」

の内に、出されている薬が一緒ならば、「僕の中での認識」の差に大差がないように感じたのだ。※後者の方が幾分か胡散臭いのは認めるが今言いたいのはそういう意味ではない。

 

信奉する先が『神様』から『科学』に変わっただけで、本質的には『科学』を知らないまま盲信しているのではないかと思ったのだ。先人がすべての神秘を暴いたつもりでいたのがいつの間にかその科学を「無条件で信頼」している。その事実が違和感の正体だったのだ。

 

もっと身近に考えてみてもいい。上記とは毛色が違うが「無条件に信頼」していることは山ほどある。例えばガス代は使った分だけが請求されるわけだが、本当に使った分が請求されてるかは確かめようがない。野菜一日これ一本に含まれる栄養素が本当に成分表のとおり一日分入っているのか知りようがない。空気清浄機が空気を奇麗にしているわけじゃなく鼻炎の薬を散布しているだけかもしれない。地球は太陽の周りを回っているわけじゃなく天体が地球の周りを回っているのかもしれない。地球は丸くないのかもしれない。

 

俺は陰謀論者の素養があるかもしれない。