もう怒ってないから帰ってこいよ

一週間というのは過ぎてしまえばあっという間に感じる割に、物事を忘れさせるには十分すぎるくらいの時間だなと感じた。

というのも、多忙が起因してたった1,2週間書かなかっただけですっかり書くことへの情熱が冷めてしまい、いつのまにやら半年もの時間が過ぎてしまっていたからだ。そもそも何か目標があって始めたことではないので、飽きてやらなくなることも自然なことと思うのだが、そのくせ、誰に強制されているわけでもないのに、なにか書いた方がいいのではという謎の焦燥にかられるのだから、つくづく余計なことをはじめてしまったとよく思う。

相変わらずとりたてて書きたいことなんて無いのだけれど、2月は元々日数が少ないのに、有給消化で休みが多くて時間がいっぱいあるので、少しでもこの誰も得しない焦燥を抑えられればいいと思ってパソコンを立ち上げた次第だ。

半年ぶりに開いたブログでは、「この広告は90日以上更新されていないブログに表示されています」という広告で埋まっている。自動ログインの期限が切れていたのであれでもないこれでもないと様々なID・パスワードを試し、ようやくアカウントを開くことができたものの、いざ白紙の編集画面を前にしては序文が全く思いつかず、ここまで書くのに早1時間が経過しようとしている。

この半年、いろいろなことがあって幾分か人間的に成長しただろうと思っていたが、文章を書く技術は文章を書くことでしか養われないのだなと痛感した。

 

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kindleには「広告付き」という普通のものよりも少し安い機種がある。

広告付きといっても、読書の合間に飛ばせない15秒のCMが入ったりオーバーレイ広告がずっと下に表示されるというものではなく、起動時にこんな本もありますけどどうです?といった些細な広告が入るだけだったので、僕のkindleは広告付きの安い方を選んだ。

買う前は、起動時だけとはいえ、余計な広告のせいで読む気力が損なわれるのかなと危惧していたのだが、実際は、広告きっかけで「ほえーそんな面白そうな本もあるのか」と読んだ本もあったのでさほど邪魔に感じなかった。

ライブラリの本を参照しているのか、興味が近い本をピックアップしてくれているようで、いつしかkindleに対して「趣味の合う読書家の先輩」的な概念が僕の中で確立されつつあった。

 

先日、表紙とタイトルと帯につられて、東大思考という本を読んだ。

東大に行くような人は普段何を考えて、どのようにしてその膨大な知識を蓄えたのかという内容で、こういうふうに考えると物を覚えやすいよだとか、こう捉えるとシンプルになって飲み込みやすいよねだとかのメソッドが書いてある本だった。

なるほどなーそういう考え方もあるのかーと楽しく読んだのだが、それをみたkindleが「こいつ東大に行きてえのかな」と思ったようで、最近は「東大に受かるためには〇〇をやれ!」だの「ビジネスに通じる東大受験」だのの広告を吐き出すようになってしまった。

「趣味の合う読書家の先輩」が「おせっかいで学力主義の鬱陶しい友達の友達」に変貌した瞬間である。小説を読もうかなとkindleを起動するたびに僕を大学へ行かせようとしてくるのだ。

ライブラリにはその一冊しか学問系統の本はないし、その後に追加した本は全然大学に関係ないのに、いまだ執拗に大学が~といった本ばかり薦めてくるし、挙句「学歴コンプがどうのこうの」などという本を持ち出してくるのだからまったく見上げた根性である。なんて挑戦的なやつだ。完全に俺のことナメくさってやがる。

いいさ、そっちがその気なら俺は俺の読みたい本しか読まないもんね。腹いせに文庫本読むことだってできるんだぜ。あーあ、紙の本読んで「やっぱ電子より紙だよな~」とか言い出しても知らないからね。「kindle売るときってブックオフかな?ハードオフかな?」ってなっても知らないからね。

 

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普通の本を読み続ければ、いつか元の先輩に戻ってくれると信じて、今はこいつのことを無視して過ごしてる。一旦距離をおいてみよう。冷静じゃない俺達には少し時間が必要なのかもしれない。