好きな本が映画化するみたいです

 

 

 

やったぁ!

 

 

 

 

 

 

 

私が少ないながらも小説を読むようになったきっかけとして明確に覚えているのが、「四畳半神話大系」という作品に出会った事である。

 

 

四畳半神話大系との出会いは5,6年前になる。
Netflixでなにか面白いものはなかろうかと彷徨っていた時に、たまたまみかけたのがアニメ化されたこの作品だった。

詳しく話すとあまりアニメ・小説の造詣が深くないとバレてしまうので個人的に感じたまま好きなところを書くと、ハイテンポな独白で進行するストーリー、独特な空気感のある作画、「選択」(であると私は思っている)というテーマ、等があげられる。

第一話でそれらに刺さった私は、文字通り釘付けで全話を通して視聴した。

 

(以下一応あらすじ)
大学進学を機にサークルに参加する主人公だが、なんやかやと理想的な学生生活を送れずに、うだつのあがらないまま大学生活が終わりを迎える。終わりの際に、「入学のあの時、こんなサークルに入っていなければこんなことにはならなかったのでは…」と思ったのをきっかけに、「別のサークルに入っていた場合のIF」をほぼ毎話繰り返すという話。

※アニメ版のあらすじではこうだが、原作の小説版はもっとポジティブな内容になっている。
(あらすじ終わり)

 

すっかりとはまってしまった私は2度、3度と視聴を繰り返し、原作となった小説を読んでみようと思い至った。

 

小説を読むという事。思い返せば中学生の頃の朝読書という習慣で読まされていたのが最後で、それ以来これっぽっちも触れてこなかったものである。
漫画の単行本程の厚さがある本にびっしりと文字が、しかも漫画よりも格段に小さい字で綴られていて、挿絵もなく数百ページに及ぶ情報量に苦手意識があった。
当時の個人的な感覚では、文字のみで情景を感じられる感受性と読解力が求められる非常に高尚な趣味だと思っていたのだ。

 

 

長い戦いになるだろうと身構えていたものの、実際には、ストーリーの大筋をわかっていた事もあってかすんなりと読み切ることができた。そしてこの読書体験が、小説への印象を大きく変えることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すなわち、本読んでる俺かっけぇ、である。

 

 

 

 

無論、小説を読むという行為そのものの、感情を文字に起こすとこういう表現になるのか、文字だけでここまで鮮明な情景を思い浮かべることが出来るのか、こんなお洒落な言い回しがあるのか、だとかの、文字を読む楽しさに惹かれたというのが主な要因ではある。

しかしそれは、小説を読むようになってしばらくあとの話であって、「久々に小説を読んだよ」という体験で感じたことは「本読んでる俺かっけえ」なのである。

 

 

 

長々と悪かったな。

しかし、本を読む最初のきっかけなんてのは皆そんなもんだろう?

 

小説を読んでいる自分に無感情でいられる者だけが私に石をなげたまえ。

 

 

 

 

 

そんなこんなで四畳半神話大系を読み終えたタイミングで、続編と銘打ってこの本は発表された。

 

これがまたとても面白いのだが、どうも私はプレゼン能力が絶望的に欠如しているようで、1時間少し考えてもまるでおすすめ文が思いつかなかったのでもう読んでくれという他ない。前作の知識が必須という事でもないので、この機会にぜひ読んで見てほしい。

 

そんな思い出の本が映画化しましたよ、やったー!って話でした。